いちごの歴史 ~起源から世界・日本への広がり、品種改良と未来展望~
2025.07.26投稿
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いちご(ストロベリー)は、子どもから大人まで幅広く愛される身近な果物です。その甘酸っぱい味わいや鮮やかな赤色は、スイーツの主役としても欠かせません。
そんな身近ないちごですが、どのように生まれ、世界や日本に広まっていったのでしょうか。
本記事では、いちごの起源から世界への広がり、日本での定着と品種改良の歴史、さらにスイーツ文化との結びつきや今後の展望までわかりやすく解説します。
いちごの起源
いちごの歴史は古く、野生のいちごはヨーロッパやアジアにおいて石器時代から食用にされていたといわれます。当時食べられていたのは現在のものよりも小粒な野いちごで、果実だけでなく茎や葉、根も薬として利用されていたそうです。古代ローマでもいちごは栽培され、中世ヨーロッパでもいくつかの品種が育てられていました。
現在私たちが食べている栽培いちご(オランダイチゴ)は18世紀にヨーロッパで誕生しました。
北米東部原産の「バージニアイチゴ」(Fragaria virginiana)と南米チリ原産の「チリイチゴ」(Fragaria chiloensis)が交配され、新しい種である「フラガリア×アナナッサ」が生み出されたのです。この出来事はフランスまたはオランダで起こったとされ、偶然の出会いから誕生したこの交雑種こそが、現在世界中で栽培されるいちごの原型となりました。
誕生当初、その果実は「パイナップルの香りがするいちご」と評され、従来の野いちごに比べて実が大きく甘みも強かったと伝えられます。このフラガリア×アナナッサは日本では伝来元にちなみ「オランダいちご」とも呼ばれ、現代の品種改良も全てこの系統から派生しています。

世界への広がり
18世紀後半にヨーロッパで誕生した栽培いちごは、その後急速に世界各地へ広がりました。
ヨーロッパ各国では品種改良が盛んに行われ、19世紀にはイギリスやフランスで多くの新品種が生み出されました。また、北米でも移民や探検家によっていちごが持ち込まれ、アメリカ独自の品種開発が進められました。
例えばアメリカでは19世紀半ばに商業的ないちご栽培が始まり、19世紀末にはボストンのホビー氏が開発した「ホベイ種」などが登場しています。20世紀に入るとカリフォルニアなど温暖な地域で大規模栽培が確立し、いちご産業が一大ビジネスへと発展しました。特に1900年代前半創業の米国ドリスコール社はベリー類栽培で急成長し、世界最大手企業にまでなっていま。
現在では、いちごは世界中の様々な気候地域で栽培されています。2021年の世界のいちご年間生産量は約918万トンにも及び、中国(約338万トン)やアメリカ(約121万トン)、トルコ、メキシコ、エジプト、スペインといった国々が主要生産国です。
一方で日本や韓国、台湾など東アジアの多雨湿潤な気候は本来いちご栽培に適していませんが、ビニールハウスによる保温・雨除け技術の普及によって克服されています。
このように栽培技術の発達により、熱帯・亜熱帯の地域でもいちご生産が可能となり、まさに世界規模でいちごが楽しまれる時代となりました。

日本への広がり
日本でも古来より野山に自生する野いちごが存在し、食用にされてきました。
代表的な日本の野生種には「シロバナノヘビイチゴ」や「ノウゴウイチゴ」などがあります。しかし、現在私たちが食べるような大粒の西洋種のいちごが日本に伝わったのは江戸時代後期のこととされています。
江戸時代
幕末の頃、オランダ船によって長崎にもたらされたヨーロッパ産のいちご(オランダイチゴ)が日本初の西洋いちごでした。当時は「オランダいちご」と呼ばれ、観賞用あるいは薬用植物として一部で栽培されました。しかし、真っ赤な果実が血を連想させるとして敬遠されたとも言われ、一般庶民には広まらなかったようです。
明治時代
明治時代に入ると、本格的にいちごの栽培が試みられるようになります。
明治初期にはアメリカから栽培用品種が導入されましたが、日本の高温多湿な気候には適さず、当初は生産が定着しませんでした。転機となったのは明治31年(1898年)、園芸家の福羽逸人(ふくば・はやと)による品種改良です。
福羽氏は新宿御苑の温室でフランスから取り寄せた「ジェネラル・シャンジー(将軍)」という品種を交配・育成し、日本初のオリジナル品種「福羽」を誕生させました。福羽はいちごの促成栽培(温室を用いた早出し栽培)に適した品種で、日本の気候風土によく合い、各地で栽培が広がっていきます。もっとも、福羽いちごは当初宮内庁御用達の御苑いちごとして栽培され、庶民の口に入ることは少なかったといいます。
戦後
日本でいちごが広く普及するのは第二次世界大戦後になってからです。
終戦直後の1949年頃、アメリカ・カリフォルニアから導入された品種「ドナー(Donner、日本名ダナー)」が極めて高品質だったため、一気に全国に広まりました。ドナー種はそれまで国内の主力だった「幸玉」などの品種に取って代わり、各地の農家で競って作られるようになります。
続いて1960年には兵庫県で育成された国産品種「宝交早生(ほうこうわせ)」が西日本を中心に普及し、日本のいちご栽培は戦後に飛躍的な発展を遂げました。この頃になると露地栽培だけでなく温室やビニールハウスを利用した栽培も徐々に増えていき、いちごはようやく庶民にも手の届く果物となったのです。

品種改良と多様化
戦後の普及期以降、日本各地でいちごの品種改良が盛んに行われ、多様な新品種が誕生しました。
各都道府県の農業試験場や企業が育種に取り組み、1950~60年代には「宝交早生」や「春の香」などが、1970年代には「麗紅」などが生み出されています。中でも昭和60年代(1985年前後)には、栃木県で開発された「女峰(にょほう)」と福岡県中心に作られた「豊の香(とよのか)」が品質の良さと大粒さで他品種を圧倒し、一時はこの2品種で全国生産量の約90%を占めるほどの勢いとなりました。
この成功により、日本各地でいちごは主要な果実作物として定着し、市場のニーズに合わせたさらなる品種改良が加速していきます。その結果、現在では日本国内だけで約200種類ものいちご品種が存在するまでになりました。
1990年代以降は、各産地が独自のブランド品種開発に力を入れるようになります。
栃木県
例えば栃木県では女峰に続く品種として1996年に「とちおとめ」を育成し、甘味と酸味のバランスに優れたその味わいから全国トップクラスの生産品種となりました。
静岡県
静岡県では2002年頃に「章姫(あきひめ)」と「さちのか」を交配した「紅ほっぺ」が誕生しています。紅ほっぺは果皮・果肉が美しい紅色をしており、ほっぺが落ちるほど美味しいことが名前の由来です。大粒でコクのある甘みが特徴で、そのまま食べてもスイーツに使っても人気の品種となっています。
九州地域
九州でも優良品種が次々登場しました。
佐賀県が開発した「さがほのか」(2001年品種登録)は早生で日持ちも良く、九州を中心に全国に広まった代表的ブランドです。さらに福岡県では1999年に開発された品種「福岡S6号」、愛称「あまおう」が画期的でした。その名は「赤い・丸い・大きい・うまい」の頭文字に由来し、名前通り果実が丸く大玉で糖度も高い高級品種です。あまおうは厳寒期でも果実が真紅に色づき、安定した収量が得られることから、2000年代に入って福岡県内で一気に栽培が広がりました。
こうした各地のブランドいちごは、生産者や自治体の努力により品質向上が図られ、日本全国の消費者から支持を集めています。

日本の農業との関係
日本におけるいちご栽培は、農業技術や経営戦略とも深く結びついて発展してきました。
農業技術と品種改良
まず栽培技術の面では、促成栽培(ハウス栽培)の導入が大きな転機となりました。それまで日本のいちご生産は露地(屋外)のみで、収穫時期も春の5~6月に限られていました。しかし昭和30年代(1950年代後半)以降、ビニールハウスなどを利用した促成栽培の研究が進み、やがてビニールトンネルからガラス温室、ビニールハウスへと施設が高度化します。
加えて栽培技術や品種改良の進展により、本来夏に実るいちごを冬から春にかけて実らせることが可能となりました。その結果、現在では早い地域では11月頃から国産いちごが出回り、クリスマスシーズンにも新鮮ないちごを楽しめるようになっています。施設園芸の発達に伴い、いちごは暖房や照明の制御下で計画的に生産できる作物となり、日本の農家にとって重要な高収益作物の一つとなりました。
地域ブランド戦略
次に地域ブランド戦略の面では、各産地がオリジナル品種に地域名や愛称を冠してブランド化し、付加価値向上を図っています。特に近年は都道府県ごとに看板品種を掲げ、「○○県産○○いちご」としてPRする動きが活発です。
ブランド力を守るための取り組みも行われています。
例えば福岡県の「あまおう」は、開発元の福岡県とJA全農ふくれんが県内限定で栽培し、厳しい出荷基準を設けることで品質と希少性を保っています。この戦略により「あまおう」は国内外で高級ブランドいちごとしての地位を築きました。
一方、佐賀県の「さがほのか」は当初生産地を県内に限定しなかったため、九州各地や他県にも普及し広く栽培されるようになりました。現在では宮崎県などでも多く生産されており、良質ないちごの代表品種として定着しています。
このように地域ブランド戦略にはそれぞれ特色がありますが、いずれも「高品質ないちご」をアピールすることで農業者の所得向上や地域活性化に繋げようという狙いがあります。
輸出
さらに、輸出にも目を向けるようになってきました。
日本産いちごは糖度が高く見た目も美しいことから海外の富裕層に人気があり、近年輸出量が増加傾向にあります。財務省の貿易統計によれば、いちごの輸出額は2015年に約8.5億円、2017年に約18億円と急増しました。輸出量も令和3年度(2021年度)には約1776トンとなり、平成26年度比で約8.6倍にも伸びています。
主な輸出先は香港・台湾・シンガポールなどアジアの近隣地域で、日本産いちごは高級フルーツとして贈答用などに重宝されています。
ただし輸出量は国内生産のごく一部であり、今後本格的に海外市場を開拓していくには、鮮度保持技術の向上や生産量の安定確保、そして輸送コストの課題なども検討する必要があります。それでも、日本の農業においていちごは重要な輸出品目の一つと位置付けられつつあり、国や自治体も輸出促進に向けた支援策を打ち出しています。

スイーツ文化との結びつき
いちごはそのまま食べて美味しいのはもちろん、日本のスイーツ文化と強く結びついて発展してきました。
ショートケーキ
代表的なのがショートケーキです。
ショートケーキ自体は欧米発祥の洋菓子ですが、日本におけるいちごのショートケーキは独自の文化を育みました。実は、日本でクリスマスケーキといえば「苺のショートケーキ」となる背景には、不二家の創業者・藤井林右衛門が深く関わっています。
藤井氏は大正元年(1912年)に渡米中、現地で出会ったストロベリーショートケーキをヒントに日本人好みの味へ改良し、大正11年(1922年)に初めてクリスマス用の苺ショートケーキを発売しました。真っ白な生クリームは雪、赤いいちごはサンタクロースの服に見立てられ、さらに紅白の色合いが日本人にとっておめでたい配色であることも相まって、このケーキはクリスマスの定番として広く定着しました。
戦後の洋菓子ブームと相まって、「クリスマスに苺のショートケーキを食べる」という習慣は日本独自の文化として根付いています。

その他スイーツ
また、いちごはケーキ以外のスイーツにも幅広く利用されてきました。パフェやタルト、アイスクリームからパンケーキに至るまで、いちごを主役にしたスイーツは数えきれないほどあります。
特に冬から春にかけてはいちごが旬を迎えることもあり、有名ホテルやカフェでは期間限定の「苺スイーツブッフェ」や「いちごフェア」が開催され、多彩ないちごデザートが登場します。グラスいっぱいにいちごを盛り付けた贅沢なパフェや、1皿に何十粒ものいちごを使ったパンケーキなど、季節限定の苺スイーツはSNS映えもすることから若い世代を中心に人気です。
消費者にとっていちごは「特別感」のある果物であり、甘くて華やかな苺スイーツは冬から春の楽しみの一つとなっています。
和菓子
和菓子の世界でも、いちごは新たな風を吹き込みました。
その代表例がいちご大福です。いちご大福は昭和後期の1980年代に登場した比較的新しい和菓子で、生の果物(苺)を餅と餡に組み合わせるという斬新さから誕生当初は異端視されましたが、その美味しさが評判となり瞬く間に全国に広まりました。
ショートケーキにヒントを得て考案されたとも言われるこの和菓子は、真っ白な求肥から赤いいちごがのぞく愛らしい見た目と、餡の甘みと苺の酸味の絶妙なハーモニーで人々を魅了しました。現在では苺大福は和菓子店やスーパーでも定番の商品となり、冬から春にかけての風物詩となっています。

このようにいちごは洋菓子・和菓子の枠を超えて様々なスイーツに利用され、日本人の食文化に深く溶け込んでいるのです。
今後の展開
スマート農業の導入
いちご栽培の分野でも、今後はICT(情報通信技術)やAIを活用したスマート農業が一層進むと期待されています。既に多くの先進的ないちご農園では、温度・湿度や養液の濃度をセンサーで自動管理し、最適な生育環境を維持するシステムが導入されています。加えて、慢性的な農業労働力不足に対応するため、収穫作業の自動化にも取り組みが始まっています。
いちごの摘み取りは熟度の見極めや繊細な扱いが求められるため機械化が難しい作業ですが、最近では収穫からパック詰めまでを一貫して行うロボットの開発も行われています。例えばカメラとAIで果実の色や位置を検知し、ロボットアームで傷つけないよう摘み取る技術が実証段階に入っています。
また、垂直農法の植物工場で年間を通じていちごを生産する試みも進められており、LED照明と空調により季節を問わず安定供給する研究も行われています。これらスマート農業技術の普及によって、生産効率の向上と高品質維持を両立させ、将来的には消費者が一年中手頃な価格でおいしいいちごを味わえるようになるかもしれません。
環境への対応
環境保全や持続可能性も、これからのいちご生産における重要なテーマです。
ビニールハウス栽培はエネルギーや資材を多く使うため、省エネ型設備への更新や再生可能エネルギーの活用が検討されています。
また、多湿な日本ではいちご栽培に病害虫対策として農薬を使うことが避けられませんが、環境負荷低減のため天敵昆虫や微生物を利用した生物的防除の導入、減農薬栽培技術の開発も進んでいます。
さらに地球温暖化による気候変動への備えも課題です。冬の気温上昇や夏の猛暑は花芽形成や果実品質に影響を及ぼすため、高温に強い品種の育成や栽培期間の調整などで対応していく必要があります。例えば近年開発される新品種には、暑さに強く夏秋でも開花しやすい四季成り性の系統や、少ない寒さでも花芽分化しやすい系統などが登場しています。
このように、環境変化に柔軟に対応できる栽培体系の構築が今後の課題となるでしょう。
海外戦略と知的財産保護
世界的に日本産いちごへの評価が高まる中、さらなる海外戦略も求められています。
輸出拡大は前述のとおりですが、今後は現地生産も含めた総合的な展開が鍵となりそうです。すでに一部の日本企業は東南アジアなどで日本品種のいちごを現地栽培し、アジアの富裕層向けに販売する試みを始めています。現地生産により鮮度の高いいちごを輸送コスト低く提供できるため、こうしたモデルは今後増えていく可能性があります。
一方で課題となるのが品種の知的財産保護です。過去には日本で開発された品種が無断で海外に持ち出され、その国で大量生産・輸出されるケースもありました。特に韓国では2000年代、日本の「章姫」や「レッドパール」「とちおとめ」といった品種が違法に流出・栽培され、現地で新品種開発に利用されてしまった例があります。
農林水産省の試算では、日本から流出した品種を基に韓国で育成された苺がアジア市場に流通したことで、日本の苺産業は5年間で最大220億円の輸出機会を失ったとも報告されています。この反省から、日本政府や育種団体は品種登録出願の迅速化や海外での品種保護の強化に乗り出しています。
今後はUPOV(植物品種保護国際条約)に基づく各国での権利取得や、海外の生産者とのライセンス契約の締結などを通じて、日本産いちごのブランドと育種者の権利を守りながら国際展開していくことが重要になるでしょう。
機能性と健康志向
いちごの持つ機能性成分にも注目が集まっており、この分野の研究開発も進んでいます。
いちごにはビタミンCが非常に豊富なほか、赤い色素成分であるアントシアニンやポリフェノールの一種エラグ酸など、有用な成分が多く含まれています。これらはいずれも抗酸化作用が高く、摂取による疾病予防・改善効果が国内外で数多く報告されています。
近年の健康志向の高まりもあり、「食べておいしい上に健康にも良い」いちごの価値に注目が集まっています。この流れを受け、各地の研究機関では機能性成分を強化した新品種の開発にも取り組んでいます。例えば埼玉県が2016年に発表した新品種「かおりん」「あまりん」は糖度が高く風味に優れるだけでなく、ポリフェノール含有量が他の品種に比べて非常に多いことが確認されました。特に「かおりん」は21品種中トップの総ポリフェノール量を示し、収穫時期によらず安定して含有量が高いというデータも得られています。
現在、埼玉県ではこれらを親に持つ高機能性品種の育成にも取り組んでおり、将来的には「食べるサプリメント」のようないちごが登場するかもしれません。こうした機能性いちごの研究は、今後ますます重要になっていくでしょう。

まとめ
長い歴史の中で、いちごは野生の小さな果実から人々の努力によって大きく甘い果物へと進化し、世界中で愛される作物となりました。
日本でも独自の品種改良と栽培技術の発展により、高品質ないちごを一年中楽しめる環境が整い、スイーツ文化や健康志向とも結びつきながら発展を続けています。
これからも技術革新や国際展開により、いちごの可能性はさらに広がっていくでしょう。その甘く瑞々しい果実は、未来に向けて新たな歴史を刻み続けていくに違いありません。